大垣の料亭助六のちかげ女将です
忘年会は実は日本独自の行事なのです。その証拠にフランス語にもドイツ語にも『忘年会』に相当する単語はありません。
「忘年会」を辞書で引くと皆様ご存知のとおり“年末に、その1年の苦労を忘れるために行う宴会”と書いてありますが、昔からそうではありませんでした。
日本初の忘年会は鎌倉時代に年末に行われた「年忘れ」と呼ばれる会が起源のようです。しかし、当時の忘年会の目的は連歌を読むことでした。この連歌の会が始まりで、どうも現在行われている忘年会には程遠かったものでした。
現在の忘年会に近くなったのは江戸時代のことです。一般庶民が一年間の憂さを晴らすために親しい者が年末に酒を酌み交わすようになったのがルーツ。一方、武士は「新年会」は開いたが「忘年会」は開かず、これで町民との身分の違いを見せたという説もあります。
今のような忘年会が年中行事化したのは明治時代、故郷に帰らず、東京に居残っていた学生と官僚が始めたとか。学生は年の初めは故郷に帰るので年始は集まりにくい、官僚はボーナスが出て懐が温まっているところに御用納めが入り、それならついでに飲もうというのが忘年会の初めだったと言われています。
この頃になると忘年会は、現在とあまり変わらない年末の風物詩となっていたと推測できますね。
料亭の女将は皆様に楽しんでいただける忘年会という日本文化の継承に努めております。
大垣 接待
大垣の忘年会は老舗料亭助六で。忘年会はもともと「○○の会」だったのです。
2014.10.9