4月29日から
大垣たらい舟が始まります!
今年のゴールデンウィークは
ご家族やご友人とご一緒に
たらい舟に乗った後
乗船場近くにある助六で
ランチやディナーいかがでしょうか。
5月のお料理 8,800円
助六の店内は完全個室となっておりますので、
お気軽にご利用いただけて
ご予約はお早めに♩
今年のGWは是非お立ち寄りくださいませ!
大垣のたらい舟の由来
「大垣のたらい舟」とは、岐阜県大垣市に伝わる春の風物詩です。大垣城に残る伝説「おあむ物語」にちなみ、船頭が竹竿一本で操るたらいに乗り、新緑を感じながら水門川を下ります。
おあむ物語
おあんの父親・山田去暦は知行300石取りの武士で彦根に暮らし、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの頃は石田三成の配下として大垣城(一説に佐和山城)を守備した。
おあんは徳川家康方の軍勢から石火矢を打ち込まれる中で、母や城内の女性たちと大垣城の天守にて鉄砲玉を作り、味方が討ち取った敵将の首に札を付けて天守に並べ置き、毎夜これに鉄漿(お歯黒)を付ける作業をし(戦においてお歯黒付きの武士は身分が高いとされていたため、のちの恩賞のため鉄漿首を作ったという)、寝泊まりもしたということ、目の前で14歳の弟が撃たれて死亡し、明日は落城という日には、父母や家来と共に梯子をかけて大垣城からの脱出の際、松の木から堀の「たらい」へ乗り移ったと言われています。脱出し、逃亡の途中で母が女児を出産した際は田の水で産湯を使ったことなどが語られる。
関ケ原合戦の折、落城寸前の大垣城から脱出し、戦いの様子を語り継いだおあむ(おあん)という女性がいました。おあむは城からの脱出の際、松の木から堀の「たらい」へ乗り移ったと言われています。
おあむが見てきた大垣城籠城戦の様子は、「おあむ(おあん)物語」として現在まで伝えられています。
和食を楽しむ料亭の女将も、たらい舟に乗りたいです!